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ジャニーズは夢の世界ではなく現実。うまく取り入れてヲタ活と日常生活のいいとこどりをゆるゆるめざしてます。

朗読劇の概念が変わったはじめての体験「手紙」

シンプルなセット。
感覚をあけて置かれたいくつかのイス。
動きではなく声だけで演じる演者たち。


朗読劇と聞くと、そんなイメージが漠然とあって
落ち着いた雰囲気を頭の中で勝手に想像していました。


その概念がこんなにもがらっと、変えられてしまうなんて。


東野圭吾さんの『手紙』が原作の、朗読劇「手紙」。
同じ作品を2パターンのキャストが上演するというもので
福田悠太・高田翔バージョン、越岡裕貴・室龍太バージョンが交互に上演されていました。


あらすじはこちらから。

https://roudoku-tegami.srptokyo.com/

 


福田高田ペアの9/18昼公演に行くことができたので、その感想をつづります。


まず会場に入って驚いたのは作り込まれたセット。
あれ、今日ストレートプレイ見にきたんだっけ…?と思わされるくらいのクオリティ。
しかも越岡室ペアの画像も見たけどちゃんとセットが違う…!?これだけでも並々ならぬこだわりを感じます。


そして、本編ですが……こんなに激しい朗読劇があるのか!と概念をすっかり変えられてしまいました。


演者の動きの激しさ、伝わってくる感情の激しさ。それを受け取って最終的にはこちらの感情が激しく揺さぶられて、号泣してしまうという……


いくつか印象的だったこと、まとめてみます。

 


◻️上辺のスキルだけじゃない2人の演技力
ずっと2人だけで、出突っ張りで、ほぼ言葉と声だけで演じ続ける。一体どれだけ大変なんだろう?と思いつつ、それに加えて動きや歌でも魅せてくれた2人。正直、滑舌のよさとか歌のうまさとかのスキルだけで言えば気にならないところがなかった、と言えば嘘になりますが、そんなものを乗り越えた、理屈抜きに伝わってくるものがあったんです。
本人たちの想いや重みが本気で乗ってるからこそ、伝わってくるものがあったんだろうな……と。


そういった意味で「上手い演技」と「伝わる演技」は別なのかもしれません。2人の演技は確実に、後者でした。朗読劇であんなにも世界観に引き込まれるとは、想像以上でした。

 


◻️福田悠太×朗読劇の出会いで感じた無限の可能性
福田悠太ファンの私たちは「読書家の福ちゃん」を知ってるわけですが……
そんな彼と朗読劇の出会いは必然で、もっともっといろんな作品を見てみたい!と強く思いました。
読書家の彼は、どこか哲学的な解釈を好む人でもあるから彼なりにこの作品をすごく深掘りして、社会とは?人生とは?きっとたくさん考えたのではないだろうかと……
ベースとして、福田悠太そのものがそこにいたのですが、ちょっとした姿勢や間、声色で何人もの登場人物を演じ分ける彼はシンプルにすごいなと思いました。

 


◻️本質的なテーマを扱う原作の奥深さ
見始めるまですっかり失念していたのですが(すみません…)「手紙」は2018年のカメのドラマで見ていて、その印象が今でも強く残っています。
何気なく見始めたら、すごく辛い話なのになぜか見るのをやめられなくて。
そのときも感じたけど、社会的な死っていつ誰に訪れてもおかしくないよなと。
ほんとにちょっとしたことで、社会的な死を迎える可能性ってあるし、必ずしも自分自身が理由とは限らないから恐ろしい。
命は一度失ったら戻らないけど、社会的な死からは生還できる。辛いし、それほどまでの経験をしてない自分には何も語る資格ないけど……でも、苦しい状況の中で人が本来持つ強さを感じさせてくれる作品で。本質的なテーマを扱ってるからこそ、いつ、誰が見ても心にぐさぐさと刺さるのだろうなと思いました。

 


短期間での、限られた公演数での上演だったけど、この作品と出会えたことに感謝でした。越岡室ペアの方もどんな違いがあったのか、観てみたかったな……
この4人×朗読劇でさまざまな可能性が広がると思うので、今後も楽しみです。